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July 24, 2008
グレイグースウォッカのカクテル。本当にうっとり来るような格好良いカクテル、しかも今まで日本で飲んだことのない深くて美味しいカクテルに出会った
グレイグースウォッカのカクテル。
グレイグースのブランドマネージャーとして、スーパープレミアムウォッカの世界NO.1ブランドとして、海外のラグジュアリー・ドリンクトレンドを日本に紹介することも大きな任務の一つであります。
3年前から北添さんとロンドン、ミラノ、シドニー、香港、他。。。と回り、一過性でない、
真のカクテルトレンドを見つけるべく
飲みしだきました。
本当にうっとり来るような格好良いカクテル、しかも今まで日本で飲んだことのない深くて美味しいカクテルに出会った~。
宝石箱や~。
カクテルIT革命や~。
日本でフルーツカクテルと言えば「北添さん」と言わしめる北添氏も、「オーマイガッ」とすっかりコーケージャン的な振る舞い。
あかん。すっかりかぶれてる。。。
日本人として技術と味の完成度は絶対に負けないけど、やっぱり彼らの独創性とスピード、プレゼンテーションは感心する。
グレイグースで紹介して以来、今では日本でも多くのバーやレストランで提供されているミクソロジースタイルのカクテル。今から3年以上前、欧米ではすっかり定着していたのです。
しかも、そのカクテルのほとんど全ては、「真」の完成されたカクテルの味。
※ ゼラチンで固めたカクテルや、窒素ガスで氷結したり、プロテインでムース状にする科学的なスタイルはいわゆる“ギミック”カクテルと呼ばれ、味を売りにするお店は絶対にやらない手法といわれているそうです。
カクテルを頼むと、フライパンを取り出してパイナップルを焼き始めたり、カウンター上においてあるプランターのバジルやミントを毟り始めたり、マスカルポーネとエスプレッソでティラミスカクテルを作り出したり、黒トリュフをスライスしてバーナーで炙り始めたり。シェフやパテシエの技法がそのままカクテルになってる。
カクテルの説明にも説得力がある。
「ピッツアにのったパイナップルが大好きな人って多いんだ。
その人達は、生のパイナップルカクテルよりも、加熱したパイナップルで作るカクテルが美味しいって言うんだよね。アップルパイが大好物の人には加熱したリンゴとシナモンを加えてカクテルにしてあげてるよ」
完敗。
全く思いつかなかった。
すごく単純なのに、新しい。
目から鱗。
また、ロンドンの綺麗な女性バーテンダーさんは、片手でシェイクしながら片手でレジ打ってたり。。。(これは違った意味でビビった)
今まで多くのラグジュアリーブランドのパーティーでも発表しているグレイグースカクテルは、http://greygoose.exblog.jp/ でご覧いただけます。
今回は、ちょっとだけ食文化よりのお話でした。
次回くだらなネタ復活か???
それとも最も合わないお酒とチーズ失敗談か?
2008 07 24 [17小泉達也@(バカルディ ジャパン)] | 固定リンク | コメント(1)
July 15, 2008
鈴木伸典.→北添→小泉。とバトンタッチで、このところ恒例の画数のお話を。
バカルディ ジャパン(株)
シニアブランドマネージャー
小泉達也@です
鈴木伸典.さん→北添さん→小泉。とバトンタッチされましたので、
まずは、このところ恒例の画数のお話を。
さて、小泉達也という人間は31画で総合的には平凡。 小と泉での天運12画は、
薄弱無力にて孤独精神不安破財を招く相。
図星かも。
僕の弱々しさは先祖代々受け継がれたものだったのかぁ。
「薄弱無力」って、もしライオンに生まれてたら、ウサギ一匹捕まえずに餓死を選ぶタイプ?
あるいは、僕は「考えない葦」か?
そんな奴を思い浮かべて読んでいただければと思います。
と・ほ・ほ と思いつつ、いんや待てよ、北添さんだって悲運や困難もあるはず!っ
(ウキウキワクワク)と調べあげると、
「北添」「鈴木」お二人の天運は、
意思堅固、万難
ほっほっほっほっ!! 僕の運命に負けず劣らず。
を突破して目的達成す。
ブキューーーーン???
苗字の勢いが違いすぎる訳ですね。突破ですかぁ。。
まあ、総合運でも
鈴木伸典80点
北添智之82点
小泉達也53.8点
完全に水をあけられましたわ。
「 . 」を付けたい。
いや、どうせ1画増やすなら今風に@にしてみよう。
小泉達也@
違う。
@は目立ちすぎて、いかにも「みんな気づいて!!」的。
精神不安を感づかれそう。
いかんいかん。これ以上長くなると本当に精神不安になりそうなので、
当分は小泉達也のままでがんばります。
さて、バトンタッチの経緯です。
北添さんとは、たしか5年程前「バー嵐」のカウンターで出会いました。
それは、桜の季節。僕の持病(ただの通風)も良くなり、ふらっとお酒を飲みに出かけた時の事。桜の香りを楽しみに青山墓地を散策した後、「ああ。歩くって最高! 次に通風になっても絶対花見の季節までに直すぞ!!」と心に決めた日でした。
墓地を後にし、かおたんか?もう一杯か?迷った挙句に誰かが「もう一杯のんでから、ラーメン」という選択肢に気づき、バー嵐に連れて行ってもらう事となりました。
そこには、会話の時はチャーミングな高田純次顔、カクテルをお願いすると、高岡沙紀とTVCMに出ていた時のようなウキウキ保阪尚希顔でフルーツを取り出し、しかしシェーカーを振り始めると過去の臨死体験を真剣に語る保阪尚希顔。そして将来を語り始めると、。。。
ビビッときました。
この人は「キテる」、「深いぞ」。
この人をもっと知りたいと感じましたね。
そして、高田純次と保阪尚希に似てるなぁと思いましたね。
一期一会な思いでした。
ところが、薄弱無力な僕は、それっきり1年ほどバー嵐には行かず、
北添さんにお会いすることはありませんでした。
次なる一期一会を楽しみに、仮面ライダーで育った僕は、毎晩バーからバーへぷるぷるぷるぷーっと飛び回っていました。
きっと、北添にとっては、ただのイチゲンさんの一人だったと思います。
1年後、一般的なウォッカの3~4倍の価格帯なのに世界で最も売れている「スーパー・プレミアム・ウォッカ グレイグース」の日本発売を決めた時。
グレイグースの一番の強み「卓越したテイスト(味・フィーリング)の経験」を、いかに消費者に感じていただくかを検討しました。
愛飲いただいているハリウッドセレブの名前を広告に使ったりする手法は簡単です。
何度も何度もリサーチと検証を繰り返し、
タイムレスに愛されるブランド育成を考え、表面的なイメージ訴求を行わず(しばらく我慢)、海外でグレイグースと共に今一番流行っている“新鮮で斬新で本当に美味しい”カクテルトレンド「ミクソロジー」を日本に広めようと決めました。
そのとき私の頭の中であの「ビビッ!!が」
「北添さんを起用したい。」
次回は北添さんと二人三脚で歩いた「ミクソロジー」トレンド構築裏話。
それから、ボンベイサファイアで繋がるお酒とアート/デザインの輪をお話させてください。
ボンベイサファイア インスパイアード バー
http://www.sapphireinspiredbar.jp/
2008 07 15 [17小泉達也@(バカルディ ジャパン)] | 固定リンク | コメント(1)
July 08, 2008
北添です。今回のブログを書かせていただいているうちに、“なぜこの仕事をはじめたのか?”はっきりわかりました。北添智之→バカルディージャパン小泉達也へ。
浅井様、いつも大変ご迷惑をおかけいたしております。
何とか、間にあっておりませんが(すいません、謝)、最後になってしまいました。
何となく“寂しい”感じがいたしますが、“気”をしっかり持って書かせていただきます。
私が“なぜ、この仕事をはじめたのか理由はわからない”と、最初に書かせていただいたのですが、今回のブログを書かせていただいているうちに、“なぜこの仕事をはじめたのか?”はっきりわかりました。
私は、“澤井慶明”という人物にお会いして“憧れた”からです。仕事や技術はもちろん、“人”としての“魅力”が凄かったのです。
“この人みたいになりたい”となれるわけもないのに、必死に何かを学びたくて飛びついた業界が、“バーテンダー”でした。
もちろん、澤井会長以外にもBAR業界には魅力的な方々が数多くいらっしゃいます。
中でも今まで大変お世話になり、ご指導いただいた先生は「毛利BAR」の毛利隆雄さん、「BAR 保志」の保志雄一さんです。
現在、私はMIXOLOGISTという会社を立ち上げ、店舗は「BAR RAGE」といいます。
“RAGE”には、“暴れん坊”などの意味がありますが、実は以前、「風」という名のBARに勤めておりまして、その次の店を西麻布で「嵐」という名に進化させ、更に現在「RAGE 」(激しい嵐)という名に進化させたのです。安易です!
「RAGE」には“繁盛する”といった意味も含まれているし、“やんちゃ”で“声のでかい”私共には“ぴったし”だと思います!やっぱし安易でした。
よく“MIXOLOGIST”とは何?と聞かれることがありますが、確かに聞きなれない言葉だと思いますので、軽く説明をさせていただきます。
もともと、造語ですが“MIX 混合する”と“OLOGY 学問の分野”からきています。
MIXOLOGY=混合学 となります。
カクテルの材料、味、効能、攪拌、変化、温度等を学ぶことです。
また“MIX 混合する”と“OLOGIST 専門家、学者”を合わせて、MIXOLOGIST=お酒を混ぜることを研究した専門家 ということになります。
この言葉はロンドンで生まれた言葉で、まだ十数年ですが、今日欧米においても「バーテンダー」から「カクテルシェフ=ミクソロジスト」へと新しい進化を遂げており、その内容は“最高のお酒と季節の最高の食材(フルーツ、ハーブ、ベジタブル、スパイス、その他飲材と成る素材)”を自分の感性でクリエイトし、カクテルブックにない、過去に経験したことのない新しい味覚と効能のカクテルを創り上げることが“ミクソロジスト”の取り組みになっています。
食材を飲材に変える!料理人のような技法もバーの中に取り入れられて、作り出されるカクテルも以前に比べ、大変幅広いものとなっています。
(現在のようなカクテルの歴史は意外とあさく、“冷たいスタンダードカクテル”の歴史は製氷機の発明からです。まだ発明されてから130年ほどしか経ってないので、それ以前氷は大変貴重なものであり、一般では入手困難だったのです。それまでは、常温のカクテルやホットカクテルが一般的に飲まれていたようです。
ですから、それを考えると、この“BAR文化”はまだまだ進化していくのは必然的でしょう。)
この概念は、“スタンダード”といわれるクラシカルカクテルのレシピと味を極めて、そしてその基本をベースに、より現代的にかつ高品質で、健康的、ラグジュアリーに進化させる内容で、素材を活かしたカクテルを提供することが、現在のバーシーンにおいて求められており、クリエイティブなカクテルの創作がバーテンダーの使命となっているのです。
まず、基本的な“技術”や“知識”を徹底的に身につけて、更にそこにクリエイティブな発想が加わった時に、ようやく優れたカクテルを作ることができるのです。
“バーテンダー”とは“BARの世話人”という意味がありますが、カクテルを作るだけではなく、サービス、ホスピタリティー、店の演出、また経営などビジネスとしてトータルを考える職業です。“ミクソロジスト”とは、“バーテンダー”の中の“ミクソロジスト”となり、商品力のあるカクテルの創作、商品の開発をすることです。
洋酒ブランドはもちろん、アパレルブランドなどのお仕事をやらせていただくこともあるのですが、やはり季節感や色、ブランドのイメージで作らせていただきますので、約束の期日までにイメージ通りに最高のカクテルが仕上がれば
“ちょー、気持ちいい”
最高の快感を覚えます。
“MIXOLOGIST”というタイトルを最初に使っていただいたのは、3年前、当時のイーエスジャパン様(現バカルディージャパン株式会社様)で、現在も変わらずご一緒にお仕事をさせていただいております。
スーパープレミアムウォッカ“グレイグース”のBrand Ambassadorとして私の様なものを採用していただき、また“ブランド”とともに成長させていただいております。
毎年全国でセミナーを実施し、一緒に“MIXOLOGIST”としてあらゆるご提案をさせていただきました。
海外研修にも何度も参加させていただき、私自身大変貴重な経験をたくさんさせていただいております。
次回、私からバトンを“タッチ”するのは、
「バカルディージャパン株式会社 マーケティング 小泉達也氏」です。
小泉さんとは3年前から「グレイグースウォッカ」の件で、誰よりも長い時間一緒に過ごさせていただいておりまして、“あーでもない、こーでもない”と何度も戦略を練っては、全国津々浦々練り歩き、海外も東へ西へ仕事という“旅”に同行させていただきました。現在の海外のトレンドを手に入れるため、日々情報収集をし、実際に現地に足を運び、カクテルセッションなど、本当に“貴重な経験”をさせていただいております。
小泉さんは海外経験が豊富な方で、マーケティングというまた違った目線で“業界”の事をお話いただけると思います。
浅井様、伸典.さんから私に変わったとたん、締らない内容になってしまって本当にすいませんでした。
伸典.さん、ごめんなさい。
これに懲りずに、今までと変わらないお付き合いをよろしくお願い致します。
ほんとに大変貴重な経験をさせていただきました。が、もうブログはできないです・・・文章まとめられないです。今度、倉さん教えて下さい、あっ、ちなみに“倉さん”とは、私の“最大のブレーン!”秋葉原に本社があります「株式会社ホビボックス 代表取締役 倉崎克之」さんです。弊社の役員にもなっていただいておりまして、いつも何でもご相談させていただいております。
秋葉について語りだしたら最高に面白い方ですよ!もえ~。
私どもも今後、“BAR”として色々な事業展開を考えております。今月、会社も株式に変更し、またこの秋、海外で店舗プロデュースの予定です。
私も“澤井”の弟子として、少しでも“バーテンダーの地位向上”に貢献できる“バーテンダー”になりたいと思います。
浅井さん、またブログをお読みになっている皆様方、長々とすいませんでした。
今後とも、宜しくお願い致します。
では、キョンキョンよろしく!タッチ!
PS. あ、粂川さん、ご結婚おめでとうございます!末永くお幸せに!
2008 07 08 [16北添智之(ミクソロジスト)] | 固定リンク | コメント(1)
July 01, 2008
“稲本社長”“松村社長”“石川社長”のすごい大先輩、3名様いらっしゃいませ。日々激務の先輩方に明日の事など伝えるのは野暮な話だとわかっているだけに・・・
浅井さん、遅くなってしまって、本当にすいません。
先日は、ZETTON様の「ニホンバシ イチノ イチノ イチ」レセプションにて、伸典.副社長とお会いされたと伺いました。
とっても、素晴らしいお店で“日本橋”が情緒ある場所だと感じる事ができ、街のイメージが変わって見えるほどの“存在感“でした。
“意味のあるお店”とは、本当に素晴らしいです。
実は、私はレセプションに参加できず(もちろん改めてお伺いさせて頂く予定)、その日の最後「GINZA RAGE」にて、ひと通り打ち合わせを終わらせ、ウーロン茶を飲みながら「さっ、そろそろ帰ろうか」と思った瞬間のことです・・・
「いらっしゃいませ!」とお客様を迎える声が店内に広がったのです。
何となく、振り返ってみると
“稲本社長”“松村社長”“石川社長”のすごい大先輩、3名様でした。
ただでさえ緊張し“ドキドキ”してしまうところで、ご挨拶をさせていただこうとした瞬間、
「おー、北添。そういえばレセプションに来ていなかったな!」というところから始まり、口から心臓が出そうになり、長々と言い訳をしているうちに、稲本社長は伸典.さんに連絡し、「北添きてなかったな!」と電話でお話をされており、またまた必死で言い訳をし、「ほんとに死ぬー」と言った感じで、そこから同席させていただきました。
皆様、テンションが非常に高く、たのしく、貴重な時間を過ごさせていただきました。
・・・実は、次の日は早朝から、鈴木雅之さんの「MARTINI DUET」CD発売に伴って、鈴木雅之さん、菊池桃子さん、鈴木聖美さん、木梨憲武さん、Bro,Koneさんのプレスリリースパーティーがある予定だったのです。
今回、「MARTINI DUET」というタイトルのプロモーション用カクテルを私に作らせていただき、そのながれで「プレスリリースパーティーでもそのカクテルを作りに来てください!」と誘っていただいていたのです。
これまた緊張したのですが、リーダー(鈴木雅之さん)からのお話でしたので「もちろん、頑張ります」と大役を仰せつかったのです。
絶対に失敗が許されないので、前日はお酒は控え、ウーロン茶。ゆっくり寝て、と考えておりました。
が、目の前には稲本社長、松村社長、石川社長がいらして、“よっしゃー、飲むぞー”的雰囲気で、“やばい”と思ったのですが、この場で日々激務の先輩方に明日の事など伝えるのは野暮な話だとわかっているだけに、自分の顔の表情がおかしくなっている事は自分自身でわかっておりました。
3人の素晴らしい経営者の方々のお話を近くで聞かせていただくだけでも大変ありがたく、
「今日が今日でなければ、とことんお付き合いさせていただいたのに!」と今日という日を大変恨みました。
非常に楽しく、あっという間に時間も過ぎ、ある程度いただいた時「実は明日、鈴木雅之さんのプレスリリースがありまして・・・」とお伝えしましたら、「俺も明日、朝から取材だぞ」と一言。
やっぱり。
と思った時、「お前、無理するな。明日、仕事はきっちりやれよ。」と一言、言っていただき大変嬉しかったです。
お陰様で、次の日のお仕事は最高の形で終えることができました。
そして、「ニホンバシ イチノ イチノ イチ」グランドオープンの日に、私のメンバーの
一守と、
「今日は飲むぞ」
と向かったのです。
初日でもお店はほぼ満席状態で、どうにか席を確保し、最高のロケーションで、最高の
お酒と最高の料理、最高のサービスで最高のお時間を過ごさせていただきました。
稲本社長、伸典.さん、梶田さん、内山さん。
ニホンバシを語るには大切な「ニホンバシの歴史に残るお店」だと感じました。
また、お会いした「ちゃんと」の内田さん、「サロン・ド・慎太郎」の慎太郎さん、島田さん。お邪魔いたしました。
今後ともよろしくお願いいたします。
突然ですが、私のBARのお話に入らせていただきます。
前回、書かせいただきました「ST・SAWAI・オリオンズ」にてカウンターに入らせていただいたのは、ホールサービスを一年半させていただいてからです。
カウンターはサービス業の中でも、奥が深いと思います。
すべては何をおいても、目の前にお客様が座られていて、すべての自分自身の動作がお店の評価になってしまう、カクテルを作ればそれが“SAWAI”の味になるといった、プレッシャーに始まりました。
まず、先輩方が目まぐるしくカクテルを作る様子を、カウンターの内側から見られるようになりました。
洗いものや、サポート業務に追われながら、目の前のお客様にできるだけの接客サービスを満面の笑顔でする。もうこれだけでへとへとになり、バーテンダーとは大変な職業で、ほんとにバーテンダーになれるかなと感じたものです。
まず毎日、基本的な「カクテル」を覚えるために、カクテルブックなど片っ端読み、よく出るものから手帳に書き、現場でオーダーが入ると、先輩の前に材料の全てとグラスを用意し、作っていただいたらすぐに片付け。ボトルの場所が分からないと“使えない奴”といわれるので、朝出勤したら、ボトル磨きと冷蔵庫掃除をしながら覚えていく。
そうすることによって、実際に作っていなくても確実にレシピと材料、銘柄なども覚えていきます。
やはり、お客様の目の前では、カクテルブックは見ることができませんので、さも、違うものを見ているふりをしながら、手帳(自作 虎の巻)をこっそりと見ていました。
メジャーカップは使用しない方針でしたので、朝早く出勤したら、掃除、準備など一通り終わらせ、そこから、目分量で液体を落とす練習をし、シェーキング、ステア、ボトルの扱い方、先輩に許してもらってテイスティングをさせていただきました。
澤井会長は、もともと「東洋一」と言われた藤山愛一郎氏率いる「ホテル ニュージャパン」時代、飲料部長をされておりましたので、当時のホテルスタイルを、お店で導入されていました。
お店では、その時、すでに何人もの優秀なバーテンダーを輩出しており、バーテンダーの育成にはかなり力を注がれていたのです。
会長はいつも口癖のように、
“海外では、バーテンダーという職業は評価されているが、日本ではまだまだ。一人、一人が意識を高く持つように。”
“これからは世界を目指して!海外経験をしなくては、良いバーテンダーにはなれないぞ!”
とも言われておりました。
その時代、海外のお客様や海外に駐在されておられる方、当然、あらゆるレストランやBARに行き慣れている方々が多く、そういった大人の社交場として“オリオンズ”には、あれだけの方々が集まってこられていたのだと思います。
私が、初めてカクテルをお客様に作らせていただいたのは、それから数カ月経ってからのことでした。
その時よくいらしていた常連様に対し、「Moscow Mule」を初めてお客様に作らせていただいたのをよく覚えています。
そこから、少しずつ作らせていただくようになり、初めてシェイクしたのは「Gimlet」だったと思います。私の友人に作ったのが初めてでした。
最初は、なぜか変な緊張をしてしまって、材料を入れて“氷”を入れずにシェイクしてしまって、先輩の日下さんが思いっきり真っ赤な顔して、私の事を笑っていたのを覚えています。
それくらい、プレッシャーがかかり、緊張する雰囲気だったのです(言い訳ですが!)
ちなみに、私も恥ずかしく真っ赤になり、本気で隠れました。(情けない)
カウンターにいらっしゃるお客様は、やはり著名な方々ばかりで、連日緊張の日々でした。業界ではサントリーの佐治様やニッカの竹鶴様など、澤井会長の昔からのお付き合いで来店されていて、
“ダンディー!ジェントルマン!”
と言うと、いまでもお二人を思い出します。
男性から見ても、とても素敵であこがれました。
そんなこんなで、現場を任され、仕事にはようやく慣れて、手際だけはよくなっていったのですが、追いつかないのはカクテルを作る技術です。
思った様には作れず、連日練習、練習です。
言ってしまえば、お客様にもほんとにご迷惑をおかけしながら“練習台”になっていただき、今も変わらない私の“笑ってごまかす”キャラでどうにか怒られずにやってこられたのだと思います。
今思えば、私でしたら“ 怒り狂う(RAGE)”味わいだったと思います。
この場をお借りして、お詫び申し上げます!すいません。
マティーニ、マンハッタン!もう奥が深すぎでどうしよう!最高7杯つくり直しさせられたことがあります・・・大変厳しいお客様で、一時立ち直れなかった苦い思い出が。
ホワイトレディー、ピンクレディー!卵白、生クリームが混ざらず、更には味が決まらず、上手にできず、オーダーが入ると“凍りつく”恐ろしいカクテル・・
プースカフェ、レインボー!忙しい時に限って“5杯”なんというオーダー。あわてて作っても、ゆっくり作ってもうまくできない“地獄”のカクテル。周りの先輩は“笑って”オーダーするだけ・・・
ゾンビ!誰のこっちゃー
ギムレット、サイドカー、スティンガー、ジンフィズ、パリジャン、ダイキリ、ブラッディメアリー、ブルームーン、パラダイス、オリンピック、シャンパンカクテル、アースクエイク、キール、ピニャコラーダ、スプモーニ、セックスオンザビーチ、ハーベイウォールバンカー、シンガポールスリング・・
当時は、スタンダードカクテルが完全に主流で、通常でも200杯ほど作らせていただいていました。
“昨日より今日!今日より明日!”
という気持ちでカウンターに立たせていただき、気がつくと5年の歳月が過ぎ去ろうとしておりました。
いつも食事は事務所でとっていたのですが、日頃からその時に澤井会長に自分自身の悩み相談や目標など、聞いていただいていました。
入社当時、どうしても買いたかったバイクがあり、事務所で食事をとりながらパンフレットを見ていたら、「これがほしいのか?」と会長に聞かれ、「はい」と答えたのです。
次の日の朝、出勤したとき会長に呼ばれ、事務所に行ったのです。
「これで、買ってきなさい。毎月1万円ずつ返してくれればいい」と現金を渡してくれたのです。
私は、びっくり!したのですが、早速返済表を作り、5年で返済する内容で毎月支払いを会長に手渡しでしておりました。
そして、最後の1万円をお返しした時、
「よく、頑張ったな!お前は俺の卒業生だ。次もがんばれよ!」
と言っていただき、次の夢に向かって退店したのです。
澤井会長は、深夜になるとピアノの伴奏でいつも“慕情”を歌われていました。
“慕情”は1949年の香港(イギリス領)を舞台にした名作で、人種や国籍の問題を映しだした“大人の恋愛”で“落ちてはいけない恋愛”だったのです。二人がマカオにお忍びで行き、ホテルのBARで
“ドライマティーニ2杯、最高に強いのを!”
と恋愛の最高潮を映しだしたものが“カクテルの王様、マティーニ”でした。
澤井会長の歌声は“甘く”、作るマティーニは“最高にドライ”でした。
澤井会長は地位向上に尽力され、現場では先輩方が惜しみなく手取り足取り、技術を教えて下さいました。
1967年 国際カクテルコンクールスペイン大会 最優秀技術賞
1976年 世界第一号 国際アンジェロゾラ賞
1992年 フランス政府 シュバリエ勲章 勲3等
1993年 国際バーテンダー協会 第1号名誉賞
1997年 東京都優秀技能者知事賞
等、他数多く受賞されております。
会長が、バーテンダーの地位をあげるために尽力された結果です。
私は、澤井会長の学んだ事を基本とし、今日お仕事させていただいております。
次回は最後です。もっとまとめていきます。急ぎますので、浅井さん許して下さい。
さっ、次に行ってみよう!
2008 07 01 [16北添智之(ミクソロジスト)] | 固定リンク | コメント(0)