« 僕の最高の人生って何なのだろう?って考えてみると、やはり最後はBARの世界に行きつきます。 | トップページ | 北添です。今回は、私がバーテンダーになった当時のお話をさせていただきます。思い起こせば、もうすぐ20年近く前になってしまうのです。 »
June 11, 2008
ゼットン副社長 鈴木伸典.→ミクソロジスト、北添智之。結構、波乱な人生を送っているが、唯一、続けられている事は「バーテンダー」という職業。その理由は・・・
神谷様からの、
「BARTENDERはお医者様と同じ様に、人を救うことができる職業だよ」
そして伸典.さんから、
「最後にBARに行きつく」
と言ったすごい流れで、私の様なものに繋げて大丈夫なのでしょうか?
と非常に緊張し、プレッシャーの中で書かせていただいております。
ZETTON副社長 鈴木伸典.さんとは、現在ご一緒にお仕事をさせていただいております。
以前は、毎月名古屋や東京でお会いし、お酒を交わし、シガーをやり、と繰り返していたのですが、最近は伸典.さんが以前にも増して忙しくされており、一緒に飲みに行く機会が減っておりました。
そんな4月のある日、私がZETTON様のお仕事で名古屋に出張させていただいた時のことです。伸典.さんと「久し振りに会いしましょう」となり、名古屋で合流、錦で朝まで飲み明かしたのです。
お互いお酒も入って、いつも通り?仕事について熱く語りあっておりましたら、
「師匠、(ちなみに、私は師匠と呼ばれるような経験があるわけでもなく、偉いわけでもなく何故か師匠!)レストラン人の繋がりというブログがあって、柴田書店様のサイトで今、僕が書いているので次、師匠にバトン渡していいっすか?」
みたいなお話で、もちろん今までブログなんて書いたこともないし、書くほど経験もないし、“これは、冷静に返事しないとやばいかも!”と察知し、でもお酒はぐるぐる回るわ、シガーでへろへろだわ、といった感じでぎりぎり即答はまぬがれました。
後日、東京に戻り、「月刊レストラン人のツナガリ」を拝見したとたん、バックナンバーを見て“こりゃなんじゃー、凄い方ばっかり” “やられているお仕事のスケールが違う”
“やっぱしこれはまずい” “俺には重すぎ”と、とっさに察知し、伸典.さんに遠まわしにお断りのメールをさせていただいたのですが・・・
「ぜひ、BARの事を語ってください」と一言、言っていただき私のようなものが書かせていただくことになりました。
私のようなレベルですが、「バーテンダー」として経験してきたこと、また、これから取り組んでいきたい事を、文章を書くのが大変苦手な上、ボキャブラリーも無くつまらないと思うのですが、ここはひとつ頑張って書かせていただきます。
日頃より、株式会社ZETTON様には大変お世話になっております。稲本社長をはじめ、伸典.さん、梶田さんや内山さん、松山さん、他多くの皆様には、本当に楽しくお仕事させていただき、この場をお借りしてお礼を申し上げます。
ここにきて、自己紹介させていただきます。
私は北添智之と申しまして、バーテンダーをはじめて20年目になります。
私の名前も字画が「32」で伸典.さんと同じなんだと、嬉しく思いました。
確かに、字画はとても良いといわれてましたが、あらためて自慢できそうです。
私は九州、宮崎の日向という小さな町の出身ですが、この「北添」という姓は四国 土佐藩の姓です。
私の母は宮崎の女で、父は高知の男です。ちなみに私は6人兄弟の末っ子、五男坊。
甘えん坊の予定でしたが、おやじの会社が倒産と同時に地獄が始まり、田舎の不良になり、落ちるわ落ちるわの中学時代を経て、どうにか夜学に通いつめ、そこで出会った方々に人として大切なことを学ばせていただき、とても穏やかな性格になりました。
話が脱線してしまいましたが、両親がどっちも南国で、暑苦しい顔立ちですが、(私もかなり暑苦しい顔だといわれ続け、ルー大柴に似ていると若い時から言われ続けています、うれしくないです。)自慢が一つだけあります。
それは、この「北添」という姓です。なかなか無い苗字ですので、良いことをしても、悪いことをしてもばれてしまう!そこがいいなとおもっています。いやまずいかもしれません。
幕末にクーデターを起こそうとした池田屋事件の「北添佶磨」が私の一族にあたると聞いています。
京都に行った折には、必ず木屋町の「池田屋旅館の跡」に行き、今はパチンコ屋に変っていますのでパチンコ屋の前で「ハイ、マティーニ」と写真を撮っては、物思いにふけっていました。
私も結構、波乱な人生を送っておりますが、唯一、続けられている事は「バーテンダー」という職業です。
なぜ?この仕事を始めたのかは自分でもわかりません。しかし、続けている理由は分かります。
この仕事が、大好きなのです。
私の師匠、故・澤井慶明氏が、バーテンダーの「バ」の字も知らず、まるで使いものにならなかったこの私をしっかりと鍛えてくださり、この仕事を好きになるよう導いて下さったのです。
私は、水商売は幼少時代の思い出から大嫌いで、酒飲みのオヤジも大嫌いで、だからとことん落ちぶれた中学時代、あえて酒を飲んでいました。
初めて自分で飲んだ酒が「CUTTY SARK」で、今でも忘れない。まずかったなー、あの頃。
あっ、でも、今は大好物ですよ。ウイスキー全般。
CUTTY SARKはグレンロセスをキーモルトとしてブレンドされた上質のウイスキー。
今はE・S・JAPAN様がお取り扱いされておられる商品です。ねっ、福田社長!!
E・S様で思い出したのですが、その当時「E・T」というSF映画がありましたが、E・Tが冷蔵庫からビールを取り出し(確か、Coorsだったはず)知らずに飲んで酔っ払って倒れていたのを覚えています。お酒って、いつの時代でも大切なアイテムですね。私が夜学に通った時も、兄貴の影響で「Easy Rider」見て、皮ジャン着てバイク乗って。あっ、でも俺、チャイナ服着て乗ってたなー!なんでだろう。
バーボン(Jim Beamのスキットルボトル)飲んで、マリファナやって、コカインやってみたいなあり得ない自由。映画ってすごいな!憧れる!実際、できないけど。
また脱線してしまいましたが、私は今「水商売」のど真ん中でお仕事させていただいております。
今現在、青山を拠点にし、銀座2店舗、ZETTON様と技術協力させていただきながら、各メーカー様と契約し、プロモーションカクテルや商品開発、セミナーなどやらせていただいております。
E・S・Japan様
スーパープレミアムウオッカ・グレイグース ブランドアンバサダーとして。
キリンビール様
シーバスリーガル カクテルアドバイザーとして。
レッドブル・ジャパン様
レッドブル プロモーションカクテルアドバイザーとして。
他、アパレルブランド様のパーティーカクテルのプロデュースなどやらせていただいております。
今、日曜の夜ですが、明日は鈴木雅之さんが出演する番組に朝から出させていただきます。今回、CDのプロモーションカクテルを作らせていただきました。大変貴重なお仕事をさせていただきました。
今日の私と仕事は、間違いなく銀座で20代に修行をさせていただいた事が基盤となっております。
次回は、澤井慶明に師事し教わったこと、またお客様から学ばせて頂いたことを書かせていただきたいと思います。
最高のBARです。「銀座 ST・SAWAI・オリオンズ」
「バーとは、幸福な時も不幸な時も、元気づけ、気分をよくし、慰めになってくれる酒を見つける場所。」
2008 06 11 [16北添智之(ミクソロジスト)] | 固定リンク
コメント
お酒がそんなに強くない私にとってのバーは少し距離がある存在ですが、人生いろいろ経験してるバーテンダーって作れない魅力もってますよね。素敵。カクテルをプロデュースするとき、何を思い浮かべてるんだろう?気分とカクテルの相性なんてあるんだろうか、、、。北添さんのブログ見ていろいろ気になってきました!
投稿者: やち (Jun 15, 2008 9:19:53 AM)
そうですね、「バーとは いかなるときにも、人を元気づけ、気分をよくしてくれるお酒のある所ですね。」 青山のお店も、銀座のお店も師匠の気持ちが作品に一杯溢れていましたよ。 「いい仕事、してますねー!」
投稿者: ダンディ (Jun 15, 2008 3:17:54 PM)
師匠!!中身の濃い、非常に師匠らしい文面が最高です。チャイナドレスでの暴走行為!?は、初耳でした(笑)1か月、頑張ってください。楽しみにしています。
投稿者: 伸典. (Jun 16, 2008 6:12:09 PM)
私も西麻布から青山店、銀座店とお店に立ち寄らせていただきましたが、お客さんの層の厚さに只々驚くばかりでした。
北添さんがどれ程努力を重ねてきたかが凄く伝わってきました。スタッフさんたちも一所懸命に盛りたててくれて凄いですよね?
...あの頃からは想像すら出来ませんが(笑)
これは冗談ですよ!又いつか必ず行ってみたいです!
投稿者: 日向から... (Jun 26, 2008 3:52:28 PM)