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May 30, 2008

僕の最高の人生って何なのだろう?って考えてみると、やはり最後はBARの世界に行きつきます。

 5月もそろそろ終わります。皆さんにとって、2008年5月は、どんなひと月だったでしょうか?僕の下手なブログも、これで最終回を迎えます。。。。。。。。。文章を書くことって、学生以来してこなかったので、本当に色々と勉強になりました。
 このブログを紹介してくれた太志くん、本当にありがとう!!また、柴田書店の浅井さん、ありがとうございました。

 先日、「最高の人生の見つけ方」という映画を見ました。勤勉実直な自動車整備工(モーガン・フリーマン)と大富豪(ジャック・ニコルソン)が、人生の最後に病院の一室で出会い、2人の余命は半年という共通点以外、交わることは決してない2人が、生涯最後の冒険旅行に出かけます。2人は人生でやり残したことをやり遂げる為、また最高の人生だったと心の底から微笑む為に、やりたい事リストを作成し実行していくという内容の映画です。

 話の進行や結末は見る前から分かってしまうような単純な映画だったのですが、見終えた後、妙に元気が貰える映画でした。

 僕の最高の人生って何なのだろう?って考えてみると、やはり最後はBARの世界に行きつきます。組織として行うレストランビジネスを卒業した後は、原点回帰でBARに毎日立っていたい!ただ僕がレストランビジネスをやりきるまでには、きっとまだまだ時間がかかるでしょうが。。。。。。。

 僕が本気で仕事をしたい!と思える力の源は・・・。今、僕を取り囲んでくださっている先輩や、エールを送ってくれる仲間、後輩、そんな皆に教えてもらった僕の人生をそのBARで思いっきり語りたい。そういう場所となるBARが創りたい!!そんな目標が今の僕の力の源です。 

 そのBARは、10坪もあれば充分です。必死に生きたおっちゃんがカウンターに入り、来てくれたお客様を元気にさせる不思議な力をもった、そんなBARです。僕は坊さんではありませんが、そのBARに立つには修行が必要です。バーマンとしてのテクニックの修行ではなく、人としての心の強さを持つ為の人生の修行です。これからの僕の修行次第で、未来の僕のBARのお客様は、幸せになる度合いが変わってきます。

 神谷デザインの神谷さんから、僕が駆け出しの頃、以下のようなことを教えていただきました。

 『バーテンはお医者さまと同じように、人を救うことができる職業だよ。』

BARって、なんて素敵なのでしょうか?そんなBARに、心底魅了されてしまった僕は、幸せだなって感じます。。。。。。。。。。。。。。。。

 ということで、6月の「レストラン人ツナガリ」は、現在日本のバーマンの中で最も注目され、もっともクリエイティブしているRAGEの北添智之さんをご紹介させて頂きたいと思います。北添さんとは、現在ゼットンのBARセクションのテクニカルアドバイザーとして一緒に仕事もさせて頂いています。

 僕が5年ほど前、“西麻部”という西麻布でひたすら呑む活動をおこなう部活を社内で作り、精力的に西麻布で飲んでいる頃、北添さんとは出会いました。それ以来、非常に仲良くさせて頂いています。

 皆さん、1ヶ月間お付き合い頂き、ありがとうございました!
 来月からは、北添さんのクリエイティブな世界を楽しみにしていて下さい!!

 それでは、北添師匠!!宜しくお願いします!

2008 05 30 [15鈴木伸典.(ゼットン)] | 固定リンク | コメント(2)

May 26, 2008

なぜ稲本はトライアスロンにチャレンジするのか? 今回は、『仕事と体力と気力・・・・・・・・』について、お届けしたいと思います。

 早いもので、既に5月も残り僅かとなりました。ブログも何とか3回目を迎え、今回は、少し目先を変えたお話をお届けしたいと思います。

 先日稲本が、自身4回目のトライアスロンにチャレンジし、ハワイから帰国しました。結果は、2時間41分13秒という自己ベストでのゴールです。前々回のロンドンの記録が2時間58分だったので、かなり大幅な記録の更新でした。

そこで今回は、
『仕事と体力と気力・・・・・・・・』について、お届けしたいと思います。

 2006年冬、僕は左足大腿骨転部に腫瘍が見つかり、左足大腿骨をほぼ全て削り取ってしまうという、かなり大きな手術を行いました。幸い腫瘍は良性で、再発等の心配はないのですが、2006年の半年間は松葉杖での生活で、精神的にも肉体的にも非常にしんどい年でした。それまでメタボリック気味ではあったのですが、基礎代謝が落ち、完全にメタボ君になったのも、この年です。

 僕たちゼットンが上場の準備を始めた2005年、稲本商店から企業へと変革していく時期、稲本は肉体改造のためのトレーニングを開始しました。最初は、ダイエットの一環としてのトレーニングだったのでしょうが、その後フルマラソンへのチャレンジを開始。そして、現在のトライアスロンへと移行していった。と記憶しております。

 僕は、稲本が健康を気遣い、ハードなトレーニングを行い、何故トライアスロンにチャレンジするのか?なんて全く興味がなかったのですが、かなり本気で臨んでいる稲本を間近で見ていて、また、その時期、手術後の自分の不健康な状態が続いていたのも重なり、稲本の体作りに興味が湧いてきました。

 そこでトライアスロンについていろいろ調べたところ、次のような考え方があることがわかりました。

 『トライアスロンのスイム1.5km、バイク40km、ラン10kmの計51.5km。という長丁場での体力の分配マネジメント、残りの距離を計算しながらのメンタルマネジメント、そんな体力、精神のマネジメントが仕事(会社経営)と一緒だと捉え、レースに参加することをシミュレーションし、レース当日、セルフマネジメント能力を駆使して、自分自身に一気に付加をかけ、練習の成果を、順位やタイムという“ものさし”で自分自身を評価する。』

 

なるほど!!!!!!

 僕は手術後、歩く度に左足付け根に違和感を覚える毎日でもあり、健康面で今後の迫りくる荒波を乗り越えていけるのか?という不健康な自分に、非常に不安を抱いていました。その為、稲本のトライアスロンへの挑戦というのは、僕にとって絶対に体を治してやる!というモチベーションに繋がりました。

 よく、健全な精神は健全な肉体に宿る。という言葉を耳にしますが、昔の人は本当にうまく言うものだな。と感心します。ましてや僕たちの業界というのは、とかくカロリーオーバーになりやすい業界であり、不摂生になりがちです。

 ゼットンは、どんどん成長しています。正常な価値観が、まっとうな考えを生み出し、精度の高いマネジメントに繋がる。ということを考えると、自身の体をもマネジメントすることが、今後の仕事のパフォーマンスをより高めていくのだろう。と考えます。

 僕は、まだまだトライアスロンに挑戦なんてできる体ではありませんが、週2回の水泳、毎日のストレッチ、2日に一回の筋トレで、漸くメタボからは脱出しました。

 因みに今年の夏、このブログを紹介してくれた西麻布のイケメン太志君、マスターピースの鏡さん、当社の財務系副社長の佐藤達が、ハーフのトライアスロンに挑戦するようです。本当に興味深いです。加えて羨ましい・・・・・・
 太志君、鏡さん、ノブ。皆、この業界を担う若手経営者です。本当に、頑張ってください。陰ながら応援しています。

 我々はさまざまな仕事と向き合う時、テクニックや経験を駆使し、一つ一つの事柄を判断し、指示を出し、時には自らが物を実際につくり、仕事を形にしていきます。

 会社の成長スピードに比例し、どんどん仕事もハードになり、数年前では考えられないほどの多くのスタッフに囲まれ、笑いと涙と感動に包まれながら毎日を送っています。

 そんな素敵な環境で仕事ができる日々を、今後も大切にしていく為にも、仕事だけでなくほんの少し、自分の体というものと対峙していく大事さを、手術と仲間から教えてもらった気がします。。。。。。。。。。。。

 

ありがとう!!!!!!!

2008 05 26 [15鈴木伸典.(ゼットン)] | 固定リンク | コメント(2)

May 19, 2008

6月25日予定、日本橋に『ジャパニーズ・バール&ダイニング』をオープンします。お客様に、スタッフに、お店のコンセプトを伝えるメニューは、ただの料理のリストとは違います

 2回目のブログで、文頭がいきなりPRで申し訳ありません。

 6月25日予定で、日本橋に『ジャパニーズ・バール&ダイニング』をオープンします。

 「日本橋1-1-1」に本社を構え、創業300年の歴史をもつ酒類・食品の卸売業を営む国分株式会社本社ビル1階にて、国分本社のリノベーションの一環として開業するプロジェクトです。日本橋1-1-1というアドレスからしても、非常に公共性の高いプロジェクトではありますが、物件の特色上、街場色の強い今回の出店は、かなり気合いの入ったものであります。やはり、商業施設での開業とは違う街場独特の緊張感を感じています。

 先日、そのプロジェクトの第1回目の試食が行われました。稲本をはじめとする開発メンバーの5人が、総料理長内山のプレゼンのもと1品、1品を試食していきます。開業毎に新業態を開発していく我々の為、毎回取り扱うメニュー内容が異なります。僕自身、何度この光景を目にしてきたのでしょうか?数えきれません。

 プロジェクトに携わる料理人を率い、内山は、彼らが創ってきた料理をカテゴライズし、ネーミングなどの表記を考え、1品1品の料理をメニューという形になるまで創り上げていきます。それをプレゼンするわけです。そうして試食後、精査された1品1品の料理のクオリティーを、料理人の視点、サービスマンの視点、メニュー化されたグラフィックデザインの視点、そしてお客様の視点から考え、毎回オープンの直前、時にはオープン当日まで、僕たちは変更をかけていきます。この動きは、社内にデザイン部がある強みだと自負しております。いつもオープン直前まで繰り返される変更に対応してくれるデザイン部の皆、ありがとう。この場を借りて、感謝の意を述べさせてもらいます。。。。。その後当然、オープン後1~2か月で、更にメニューには変更をかけていきますが・・・・・・・。

ここで大事なこと。
 『リストとメニューの違い・・・・・・・・

 前回のブログで、師稲本から、飲食の世界感を感じさせてもらったと書きましたが、この『リストとメニューの違い』ということほど、自分が何をどう売っていきたいのか?また、それを具現化する為にオープン準備期間、スタッフに伝えなければいけない優先順位は何か?ということを、同時に教えられたことはありませんでした。

 現場は、全く同じコンセプトを持ったお店でも、全く同じ人間がその場にスタッフとしていても、メニューのグラフィックの違いにより、オープンのトレーニングメニューが変わってくると思います。逆に、スタッフの能力に合わせ、それを補うのも、メニューじゃないでしょうか?メニューって凄い“営業マン”ですよね!

 僕が、東京1店舗目の恵比寿ゼットンのドリンクメニューを創る時です。何度、稲本の所に持ち込んでも、

 「何も伝わらね~!」
 って、却下、却下の連続でした。僕には、何故か分からない。実は、僕はそれまで店長をやっていましたが、メニューを作成したことがなかったんです。ODEON(オデオン)という店舗で、店長として店舗運営はしていましたが、2代目店長だった為、メニュー作成のマイナーチェンジはしたことはあっても、“ゼロからイチ”を創ったことはなかったんです。

 ある晩、稲本は
 「伸典.、もういいよ!お前ができないんだったら、俺がやるよ!」

 って言われた時のショックは相当なものでした。どうしても自分で恵比寿ゼットンのドリンクメニューのベースを作りたかった。それでも、「違う!違う!」って却下の連続。。。。。。。。。。。。。

 僕は、必死だった。やり遂げたい。っていう一心で。

 そんな僕の様子を見かねて、稲本はあるヒントを与えてくれました。

 「伸典.のメニューは、やりたいことが見えてこない。これはただのリストだな。メニューとは呼べない代物だよ。こんなの、酒知っている奴が、大体こんな感じかな?っていう酒を並べただけのものじゃん。お前にグラフィックを意識しろ!って言っても、未だ分かんないだろうけど、グラフィックを意識してお前が現場のシーンをイメージして、恵比寿ゼットンで何を、どんなオペレーションで売っていきたいのか?まで意識しないと、メニューなんて創れないよ!それは、イコール現場で共に動いてくれるスタッフにも、またそこに集まってくださるお客様にも、何も伝わらないってことなんだよ!」

 って、その当時じゃ理解不能!?なことを教えてくれました。なるほど!なんて簡単な言葉で締めくくれるものではなかった。

 それからというもの、僕は鉛筆でグラフィックを意識して、オペレーションを意識して、何をどう売っていきたいからこういうメニューにするんだ。っていうものを毎晩、毎晩どれだけの枚数書ききったか?わからないくらい書きました。ちなみに、この頃実はグラフィックっていう言葉自体、???????????だった(笑)

 最後は梶田(現・専務)がまとめ上げてくれたんだけれど、本当に嫌になるまで紙にメニューを描いて描いて描ききった時、僕自身に何かが見えたんです。お店を動かすプロになろう。プロのオペレーターになりたい。っていう目標が生まれた瞬間でした。

 ゼットンのスタッフがこれを読んだら、なぜ、「メニューを考える際に最初は鉛筆で紙に描くべき」って僕が言うのか?が、きっと見えてくると思います。デザイナーほどのPC使いじゃない僕らは、熱を込めて創る時って、鉛筆のほうが力が入るんです。

 今度の日本橋も、新業態の為、乗り越えなくてはいけないことは沢山あると思います。稲本含め、仲間全員が、きっと苦労すると思います。しかし、自分たちが創ったものがシーンを創っている時の感動は、たまりません。1坪当たりの売上高や、店舗の収益性も勿論、店舗を経営していくうえでは大切ですが、それだけではつまらない。お店の中が活気つき、グル―ヴ感に包まれた時、本当に興奮する。。。。。僕らの業界では、月並みな表現でしょうが、そんなシンプルな喜びが、大海原のこの世界を進み続け、やり続けることができるコツなのかな?とも最近感じます。

 皆さん、今回の日本橋楽しみにしていてください。6月25日オープン予定です。

 日本橋の街に僕たちを投じるだけでなく、日本橋から新たな僕たちゼットンを投じます!

 乞うご期待!! 

2008 05 19 [15鈴木伸典.(ゼットン)] | 固定リンク | コメント(0)

May 08, 2008

西麻布のイケメン→ゼットン副社長、鈴木伸典.へ。僕の人生を変えた15年前の出来事。

4月中旬、西麻布のイケメン(今は、もう都内のみならず活躍して
いる太志くんだけど、僕の携帯のメモリには当時のまま
“西麻布イケメン”と登録されている。太志くんごめんなさい。。。)
から電話が入った。

「アッ太志くんだ!また、店を予約してくれるのかな??
太志君いつもありがとね!」
なんて、商売人根性丸出しで、電話に出てみると、

「しんちゃん、レストラン人の繋がりって知ってる?
今月俺が担当しているんだけど、来月、やらない???
店の宣伝をしても、何を書いてもいいブログだから、
やる方がいいよ!」ってな感じで、太志くんから、
引き継がせていただきました。zetton鈴木伸典.です。

名前の最後に「.」がついていますが、これは当時付き合って
いた彼女が、凄く当たるといわれている占い師に会いに行った時、
ついでに僕の名前も、見てもらったところ、
「今の字画(32画)は、運勢は大吉運だが、人が良すぎて
仕事には、向かない。「.」でも「。」でも好いから、字画を
33画にもっていき、頭領数にする方が、仕事で使うにはいい。」
と言われ、それ以来洒落で、名刺も、クレジットカードのサインも
全て「.」を付けています。

社内でも皆、「.」には、気を付けてくれています。既に「.」を
付け始めて9年目です。効果は?というと、あるような?ない
ような?多分、あるのでしょうが・・・・・
ただし、33画は家庭運が薄いらしく、「.」を付けて僕は、
シングルになりました。。。。。。。
でも、「.」に気がついた人には、説明をすると興味を持って
もらえます。。。。それが効果かな!

さて、勢いよく二つ返事で、引き受けたはいいんだ
けれど、何を書いていいのか?本当に、迷い、迷い、
迷いまくってます。。加えて僕なんかで本当にいいのかな~?
なんて今さら不安になってるし・・・・・・・・。
兎に角、全力で5月最終まで完走?完筆?
しますので、みなさん、よろしくお願いいたします。

僕と、太志くんとの出会いは、zettonが東京に初出店の頃
だったから、気がついたら既に8年になるんですね。
僕は、店長という仕事の面白味をようやく分ってきた時で、
太志君はその頃、既にFurutoshiをやっていて、
同じ年なのに凄いな。とただただ、憧れの同級生って
存在でした。仕事だけでなく、イケメンだし、声もエロく
ハスキーな感じだし、なんといっても、フェロモンが出ている。
なんて僕と対局の所にいる人なのだろう???って思って
いた。その心の現れで、初めの頃は、“太志さん。。。。。。。”
なんて、えらく遠慮がちに太志くんに接していたのを
今でも覚えています。そんな憧れの友人から頂いた機会。
だからこそ、このブログを大切にしていきます。
太志君、ありがとう!!また、こんな僕でOKを出して
くれた柴田書店浅井さん、ありがとうございます。
『イナケンがいく!』共々宜しくお願いいたします。

季節は、春から初夏に切り替わろうとしています。
今年のゴールデンウィークは、東京では生憎の天気が
続き、気持は萎えますが、皆さん如何でしたか?

僕はこの時期、いつも気持ちを初心に戻す為に、
思い出す事柄が1つあります。
僕の人生が、15年前のこの時期に決まったといっても
過言じゃないくらいの出来事があったのです。

我が師稲本に誘われ、全く酒が飲めないにも関わらず
BARの世界に入ったのが15年前の5月4日なんです。
今では、毎晩へべれけ。になるまで酒を煽るけれど、
当時は、本当に飲めなかったんです。

稲本に紹介してもらったBARは、稲本も当時勤めていた、
名古屋新栄にあった、Cortigiano(コルティジャーノ)という
BARでした。名古屋では、その当時比較的アッパーな
BARで、バブルがはじけた後とはいえ、名古屋にはまだ
その余波は来ておらず、結構怪しい、羽振りの良いお客様が
多かった。因みに、zettonの専務の梶田、執行役員の山本、
福徳茶屋のマネージャーの古川もCortigianoの出身です。

僕の仕事っぷりはどうかというと、酒が飲めなかったから、
酒が分からない。店にある酒より、知っている酒、聞き覚え
のある酒の方が、極端に少ないから、オーダーされても、
お客様が何をご注文されているのか?さえも分からない始末。
本当に、言語が違う世界に飛び込んでしまった。と思い、
「BARでアルバイトしたい。」なんて言わなければ良かった。
と何度も何度も後悔しました。

これでは駄目だ!と一念発起し、バーマンお約束の
バーテンダーズマニュアルを買い、世界の名酒辞典を買い、
シェーカーを買い、練習用の酒を買って、毎晩シェイクの練習を
家で行い、自分で飲んで。。。。。といった具合に、必死で
酒の世界を覚えようと頑張った。約半年後、ようやく
ジントニックだけ作らせてもらえるようになった。本当に嬉しかった。
その後、カウンターを任せて貰えるようになった時、稲本が、
「伸典.、ギムレット覚えた?」って聞いてきました。

「はい。ようやくカクテルも作らせて貰えるようになったので。。」
と答えたら、

稲本は、
「伸典.。ギムレットやマティーニなどスタンダードカクテルって、
全世界どこに行ってもギムレットはギムレット。
マティーニはマティーニなんだよ。
お前が、世界のどんなBARに行っても、ギムレットって注文
したら、ギムレットが出てくるよ。学生ながら、世界中どこでも
通用する、そんな仕事を今、お前はしているんだよ!」

って教えてくれました。僕が21歳。稲本は25歳になったばかり。

稲本は、当時、昼はサラリーマンデザイナーで、
夜はバーテンダーという2足のわらじを
履きながら仕事していました。
大学生の僕にとって、ギムレットの話は、衝撃的でした。

だから、僕は、学生時代、海外旅行に行く度、
必ずBARに行き、そのBARのバーテンに
下手な英語で話しかけ、時にはそのバーテンと
オリジナルカクテルのレシピを交換し
Cortigianoでそのカクテルをお客さまに提供するなどして、
思う存分僕は、学生時代のBARライフを楽しんだんです。

酒にハマり、飲食店にハマり、レストランビジネスに
ハマった僕の人生は、そこから始まりました。

そんな感じで、レストランビジネスに突入していった僕を、
初回はお伝えさせていただきました。 次回以降、
その時々、僕が感じていること、考えていることを精一杯、
お伝えさせていただきます。

 宜しく、お願いいたします。

2008 05 08 [15鈴木伸典.(ゼットン)] | 固定リンク | コメント(5)